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一瞬の風になれ 佐藤多佳子著

スポーツを題材にした青春ものというと、暑苦しくて汗と涙と……みたいなイメージが一瞬よぎる。けれど、この物語は全体的には静かな印象で、日常の何気ない描写や会話が、高校生の陸部の世界観をより鮮明にしている。劇的な展開よりも、大会前のどうしようもない緊張、サッカーの才能に恵まれた兄と自分を比べてしまう気持ちや、幼馴染との小気味よい会話のキャッチボールなどが生っぽくて、自分の経験と重ねてグッと熱くなったり、苦くなったりするのだ。

サッカー少年だった主人公の神谷新二は、高校入学を機に陸上部へ入部する。ショートスプリントに打ち込む新二とチームメイトが、切磋琢磨する高校1年〜3年までの期間が全3部に収められている。100m、200m、そして400mリレー(4継)に焦点が当てられていて、元陸上部が読めば一層懐かしく感じるだろうし、陸上競技にまったく無知でも、引き込まれる臨場感がある。作者は著書執筆のため3年間、神奈川県に実在する陸上部を取材したという。

はじめての陸上観戦の対談中でも触れていた通り「走る」ということはとても身近だ。あらゆるスポーツにも通じていて、競技としてでなくても、ほとんどの人が一度は全力で走った経験があるはず。高校生である彼らが、速く走るというその1一点を追い求めて努力する熱量は熱く、真っ直ぐで眩しい。今回の特集は「走る人」を観る視点を取り上げたが、そこに存在するエモーションは、この本がまさに表現しているものだ。「風になれ」という題がぴったりの爽快感と疾走感。前へ前へ、速く進むこと。瞬間の気持ちよさ。誰しもが原体験としてある、ピュアな走る喜びを思い起こさせてくれるのではないだろうか。