ある取材で、ジビエ料理を食べる機会があった。そのとき、同行していた写真家の表萌々花さんと話題になったのが狩猟について。岐阜県高山市出身の彼女は、実家の近所の猟師との体験を話してくれた。撮影も兼ねて同行したわな猟で、表さんははじめてシカを仕留めたという。語られる出来事は生々しく、そのあとに見せてもらった写真はより、その空気を伝えてきた。今年で72歳になるという、ベテラン猟師のもとを再訪する彼女に同行した。
猟師の現在
日本の猟師の人口は、年々減少傾向にある。加えて、高齢化も全国的に深刻な問題だ。
シカやイノシシなど、野生の鳥獣による農作物の被害は、2020年度(令和2年度)では被害金額が約161億円。シカが56億円、イノシシ46億円と、被害の半数を占めている。
厳密には、狩猟の目的が主に食べることであるのに対し、有害駆除は数を減らすことが目的である。ただほとんどの場合、猟師が地域の駆除隊員を兼ねている。狩猟が自由にできるのは、猟期だけ。鳥獣保護管理法に定められた狩猟期間は、一部地域を除いて毎年11月15日から翌年2月15日(北海道は毎年10月1日から翌年1月31日)までとされている。狩猟と異なり、有害駆除(許可捕獲)は、許可された期間であれば一年中行うことができる。
狩猟免許保持者が減少しても、全体の駆除数は減るどころか増えていることがわかる。行政による有害駆除の条件緩和により、狩猟ではない駆除のボリュームが大きくなっているのだ。それはそのまま、害獣となってしまった野生動物数の想像以上の膨大さを物語っている。獲っても獲っても間に合っていないというの事実が見えてくる。
はじめての猟へ
名古屋から車で約2時間ほどで、岐阜県高山市清見町に到着する。待ち合わせには件の猟師、梅地清澄さんと弟子の上屋薫里さんが迎えてくれた。早速、シカが罠にかかっているとのことで、山道をついていく。ポイントの少し手前で停車して進むと、1匹のメスのシカがかかっていた。
見た目は可愛らしいが、後ろ足で蹴りを入れてくるので、不用意に近づいては危険。人間の姿を確認し、なんとか逃げようと暴れるが、時間が経つと諦めたように座り込んでしまった。
罠にかかったシカは、鉄パイプで失神させ、その後止め刺しをする。梅地さんと上屋さんは、粛々としていて迷いがなく、その連携は見事だった。ついさっきまで生きていたシカが、人形のようにぐったりとするまで、一瞬の出来事に思えた。流れる血から、少しだけ湯気が上っていた。
近くの川で、手早く処理をしていく。この処理は、早ければ早いほどいい。飲食店で食肉として出されるものは、解体処理場での解体がルールだが、今回は自宅用のため、川で捌く。
「脂が結構のっとるな。背ロース、ここがももや。このへんがいちばん美味しいわ。あとはレバーは旨いで。せっかく命をいただくんや、美味しい方がええわな」
野生動物は、処理の仕方で食べられるかどうかが決まる。適切に、迅速に血抜きをすれば、獣臭くならず、美味しくいただける。猟師は、美味しく食べることでその生命に敬意を払う。
わなを仕掛ける様子も見せてもらった。「くくり罠」と呼ばれ、獣の脚をワイヤーで引っ掛けることで生捕りにする仕組みになっている。
「場所はどこでもええっていう訳ではない。意味ないとこに仕掛けてもかからんからな。ここが獣道になっとるやろ。こういう道の大きな石とか障害物の隣に置くんや。獣たちはその石を跨ごうとするから、その先に脚をつく。そこに罠があると引っかかりやすい。あとは落ち葉で隠してやる。クマも引っかかる時あるから、太くてしっかりした木に縛っとかないかん」
梅地さんの目には、獣の動きが見えているようだった。昼食休憩のあと、他のポイントのわなの様子を見回りに向かう。
72歳のベテラン猟師
20歳から猟をはじめ、現在は岐阜県飛騨猟友会清見支部に所属している梅地さん。地元でも有名な熊とりの名人でもある。飛騨エリアだともっとも腕利きの猟師だと、彼を知る人は話す。
「梅地さんのグループだけ、討数が桁違いだと思いますよ。言葉にして教えることは少なくても、一緒に山に入って、後ろをついていくだけでも参考になる。山歩きだけとっても達人なんで、どこをどう歩けばいいかわかっていて、しかもすごく速い。経験からくる、嗅覚というか勘が良いので、獣を獲るのが上手いんです」
現場ではキビキビと動き、まだまだ現役の様子だが今年で72歳を迎える。だが今後は山での知識、経験、技術、勘を引き継ぐ人が必要だ。先の世代に、伝えられることは残さねばならない。梅地さんの隣でサポートする上屋薫里さんは、料理人であり、その継手のひとりだ。
「ジビエ料理の全国コンテストで、農林水産大臣賞(最高賞)をいただたのが、大きなきっかけかもしれません。気付いたら、銃の免許もとって、自分の料理で使う食材をこうやって自分で獲るようになってて。ほんとに、梅地さんが元気なうちに教えてもらわんと」
表萌々花さんが、初めて梅地さんを撮影したのは、今年の5月下旬だった。県内の牧場で、今回と同様に罠にかかったシカを捕獲した。
「写真を撮っていると、梅地さんにもう『一匹はお前がやれ』と言われて。私は怖いのもあって、30分以上なかなか仕留められなくて。ずっと手が震えてて。でもこういう時は、『食べて供養するんや』って梅地さんが言うんで、梅地さんが一発で仕留めた方と、私の苦しませてしまった方、両方持って帰りました。仕留め方でこんなにも違うのかってくらい、2つのお肉は別物でした。ゴムのように味がしない肉を飲み込むように食べました」
このときの牧場での出来事、彼女の話と写真が、今回の取材に至るきっかけをくれた。この時の写真は、“たむけ”という題でこの冬の個展で展示をする予定だという。
「梅地さんのすごいのは、言葉にしないことだと思います。でも猟師であることに誇りをもっていて、動物に対する対応や所作にも、敬意のようなものが滲み出ているように感じるんです」
生命との対峙
午後の見回りでは、ウリ坊(イノシシの子ども)が2頭と、シカが2頭かかっていた。他の猟師さんとも合流して順番に捕獲していく。午後は複数頭かかっていたので「やってみるか?」と声をかけられ、鉄の重いパイプを渡される。午前のシカのおかげで、手順はわかる。
いざ生きているシカに対峙すると、真正面から目が合う。表さんが話していた感覚が、そのとき初めてわかったような気がした。他人の体験談と、自分が手にかける感覚は別だ。上手く一発では仕留められず、結局手伝ってもらった。そのシカが森から運ばれていく様子から、目が逸らせなかった。
増えるシカと、山を守る仕事
日本の山では、シカが増えすぎている。シカは若い樹木の樹皮や幼木を好み、そして食べ尽くす。山に対してシカの数が多すぎると、森の環境は荒れ、生態系が破壊されてしまう。林業への影響も深刻だ。長年、山の様子を見てきた梅地さんも、シカの増加傾向を感じている。
「今はシカがどえらい多い、増えてしまったんやわ。今は猪よりもシカの被害の方が大変や。特にここ5、6年やな。飛騨だけやのうて、三重とか長野とか、日本どこも同じやと思うけど」
温暖化により、イノシシやシカは北上し、生息地域を拡大している。狩猟や有害駆除による捕獲数も、1980年代には全国で約2-3万頭だったが、2012年度には46万頭を超えている。
増えた理由はさまざな要因が挙げられる。明治時代に乱獲によって激減したため、一時的に捕獲が規制されていたが、その後は自然界に天敵がおらず繁殖能力が高いため、一気に増加に転じることとなった。
高齢化が進む地域の猟友会の力だけで解決するのは難しく、国や行政のバックアップは不可欠だ。2012年には、農林水産省は獣害駆除対策用に130億円の緊急予算を投じており、国を挙げて取り組むべき問題として捕獲数の目標を掲げている。高山市の場合、 猟用の檻は全て市が支給してくれるし、補助金もある。獣を1頭捕獲するごとの報奨金制度もある。しかしクマやイノシシなどの野生動物を相手にする仕事は危険が伴い、決して容易なものではないことは確かだ。
地域のための獣害対策と同時に、ただ”獲る”だけではなく、山や森の環境を守り継いでいく役割を担う猟師。梅地さんは言葉は多くないけれど、背中で多くのことを語ってくれた。生命のやり取りをする現場を、肌で感じた体験だった。取材後、自分で調理した肉は、忘れることができない味の記憶となり、私の一部となった。