世界最古の木造建築が法隆寺金堂であることからも明らかなように、日本は古代から森の恵みを享受してきた。それは神を「一柱(ひとはしら)」、「二柱(ふたはしら)」と数えることや、ハレの舞台を「檜舞台」と呼んだりすることからも窺い知れる。
こうした日本人と森との関係を主に建築を通して通史的に紐解いてくれるのが本書だ。しかし、それだけではなく、そうした木造建築に用いられた木がどこで伐採され、どう加工され流通に乗ってどう建築現場に至ったのか。その過程で木はどのように信仰され、扱われてきたのかまで追うのが本書のユニークなところ。日本における林業がどのように成立してきたのかを掴むのにもってこいなのだ。
例えば日本では先史時代から木が多様に使われていたが、その主なものは燃料としての薪だったという。その中でも興味深いのは、塩の精製に薪が不可欠であり、薪が山の文化と海の文化を結びつけていたということ。山の名前としてある「塩山」は、塩を作るための薪を確保する山を表していたのだそうだ。
木材を建築用に贅沢に用いた古代を経て、中世になると資源の枯渇が見て取れる。例えば歌舞伎の演目『勧進帳』でも有名な鎌倉時代の東大寺の再建においては、奈良時代のような巨木を得るために奈良から周防国(現在の山口県東部)まで足を伸ばさなくてはならなかった。当時はその運搬にも並々ならぬ苦労があったことが細かに説明されている。また、同時に材木は産地から建設の度に切り出す特注品ではなく、規格化された商品として流通するようになっていった。いまでも地名として残る「材木座」は、そうした材木の権益を握った商工業者の組合のことだ。
こうして利用する一方であった森林資源に対し、近世に至る頃にようやく“保全”という考えが生まれるようになる。農民が集団的に占有・利用する権利を確保するために設けられた入会林はその代表だ。薪、肥料・飼料用の草や落ち葉、屋根用のカヤなどの利用を制限した。また、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるように火災の多かった江戸への木材供給源として、運搬に適した多摩川の上流にある青梅で、人工林を育てるという育林の発想も生まれていった。
このような木と日本人の関係が、豊富なエピソードとともに紹介される。そして、最後には産業革命以降のマテリアルの多様化、その波が戦後日本に及んだこと、そして安価な輸入材によって、国内における生産地から消費地へという流れが失われ、森の循環サイクルが途切れたことが語られる。これは今回の特集『FORESTRY IS OUR FUTURE』の取材の過程でも見えてきたことだ。
適切な木材利用は新たな時代にふさわしい循環サイクルの解答のひとつで、それが歴史のなかに詰まっているのである。
著者がこう著すように、未来の林業を考える上で、歴史を見直すことには大きな意味があるはずだ。それをコンパクトな新書で概観できるのが、この本の最大の魅力だ。