順調にトレーニングが積めて、成長も実感していた最中での緊急事態宣言。目標としていたレースの中止や、突然に訪れた行動自粛に伴ってモチベーションが低下した人は少なくないはず。人はなぜ走るのか?なぜわたしは走るのか?『本当はかけっこが速いあの子になりたかった』最終回では、多くのランナーがこの期間に考えたであろう“わたしが走る理由”へ。モチベーションを生み出すのも、膨らませていくのも、自分のハート次第。
※これまでの記事
episode1 スピードへの挑戦
episode2 全宇宙からコーチが見てる
episode3 できることはぜんぶやる 人体改造化計画
速くじゃなくて長く走りたい!
あれあれ? おかしいぞ。今年の目標は何だっけ? 甘いものを食べるとなぜかしょっぱいものが食べたくなる。しょっぱいものを食べると甘いものが食べたくなる。時々そんな無限ループが起こることがある。わたしは速く走るなんてもう今はどうでもいい、それより気が済むまで走りたいという気持ちになっていた。
トレーニングを始めて4ヶ月、ますます負荷が上がっていく練習。最初はバリエーション豊富で楽しかったポイント練も次第に同じものが繰り返し設定されるようになり、なんと早くも飽きてきたのだ。木曜日に3分間×10本のインターバル、その2日後の土曜日にまた同じ3分間×10本のインターバル。ポイント練の間の日はローラー台でバイク40分かジョグ40分しかできない。週末にたまにLSDがあっても2時間程度。しかも世の中はコロナ禍で自粛ムード、いよいよ緊急事態宣言が出るかという頃だった。それが3週ほど続いた頃、なんだか楽しみを見失い、すっかりつまらなくなってしまったのだ。実はこの時サブ3に近いくらいまでインターバルのペースが向上していた。なのにわたしはコーチにずっと我慢してきたことをついに言ってしまったのだ。
「わたし、長く走りたいんです!」
スピード練ばかりでさすがに飽きてきた、何も考えず長く走りたい。ただただ走りたい。決められた場所や決められた内容をただただこなすのはいやだ。のびのび走りたい。わたしは長く走るのが好きなんだ! と。
いやいやトモさんはそんなことは知っている。どんなわがままなんだ。そんなこと言われなくてもわかった上で、わたしの走力向上のために『トレーニングの期分け』という理論のもとに、スピード期用のトレーニングメニューをんでくれていた。レースがあれば、登り強化期、持久力強化期へと移行していくはずだったが、レースが次々に中止となり「スピード期を継続しよう」ということになっていた。大好きな山に行けなくなり、リフレッシュできるアクティビティを失ったわたしは早くも限界だった。
「わかった、そうだね。じゃあ長めのLSDも増やしていこうか」
コーチはそう言ってメニューを組み直してくれた。それなのにわたしはまた、コーチの言うことを聞かなかった。
自由を求めて走った、ひとりぼっちの100マイル
あれは、4月末のことだった。パソコンがポンッと音を立ててメッセージを知らせてくれる。
「いまごろパッキングに大慌てだったんだろうね」
「そろそろ都内を出発していた頃だね」
「忘れ物とかして慌てていたかも(笑)」
コロナ禍で中止になってしまったトレイルランニングレース「UTMF」に想いを馳せるメッセージが次々に届く。そうだ、今週末は100マイルを走るはずだったんだ。おそらく40時間近く山の中を走り続けたんだろう。Training Peaksのカレンダーで練習メニューを見ると、土曜日は【LSD 8時間】だった。わたしが長く走りたいと訴えたからだ。レース以外でそんなに長い練習が組まれたのは初めてだった。
「8時間かぁ」
8時間走ったとして、よくて70kmくらいだろう。160km走るはずだった週末に70kmかぁ。8時間かぁ。半日以下かぁ。なんか気分がパッとしなかった。3年連続で「UTMF」160km、「ASO ROUND TRAIL」120km、T.D.T(トモさんが主催する100マイルラン)のペーサー90kmを3つ続けて走るのが自分のルーティンだった。そのルーティンが今年崩れてしまう。
UTMF2020が行われる予定だった4月25日、スタート時刻よりも少し早い朝9時に、久しぶりのトレランザックを背負い、わたしはひとりふらりと家を出た。
ハァ、ハァ。呼吸が苦しい。“エチケット”に従って口元を覆っていたからかもしれない。春なのにもう夏日が近いと言われていたほど暑かったからかもしれない。20km程度ですでに脚が重かった。30kmあたりで長い長い上り坂があり、途中で脚が止まって「わたしはどうしちゃったんだろう」と肩を落とした。40kmくらいから公園の土を踏んで動物的感覚を取り戻して一気に70km、日が落ちてからは「まだ終電に間に合う、いやいや今は電車に乗るべきじゃないんだ」などと葛藤した。100kmを越えればもう邪念は無くなり、120kmくらいまで夜風の気持ちよさにナイトクルージングを楽しみ、130kmあたりで残り30kmが永遠に思えて1kmが全然進まず、150kmからラストはほとんど歩きながら旅を噛みしめ、160kmちょうどに達したところで22時間半ぶりに帰宅した。
昨年レースで達成できなかった100マイル24時間切りを目指して走った。密集地・時間帯を避けながら緑道と緑地を繋いだ160km。レースなんてなくたって、山に行けなくたって、一緒に走る仲間や応援してくれる仲間に会えなくたって、走りたければ道はそこにある。どんなにスピードばかりに打ち込んでいたって、「100マイルなんて朝飯前」だって言えるくらいでありたかった。