30歳の頃、千葉県に暮らし絵を描く仕事をしていた筆者は、山形県の出羽三山を信仰する山伏修行に赴く。その時の3日間の体験記は、信仰や宗教や修験道といったものを難しく捉えがちな読者にもすっと入ってくる。それは筆者自身がほとんど思いつきだったという通り、先入観のない澄んだ視線で、ひとつひとつ目の前で起こる出来事に反応したり感情を動かされる姿に共感できるからだろう。ただ、修行のなかで触れるさまざまな得体の知れない自然を捉える感性は独特だ。羽黒修験最大の聖地、月山を次のように描写している。
何より、「におい」が違いました。街にあふれる生活のにおいや、羽黒の森の無数の植物や動物のにおいに比べ、月山はとてもシンプルでした。未知なる自然のシンプルさに、僕は少し不安な気持ちをかきたてられました。さっき感じた、自分がどんどんと他界に向かっているような気持ちが濃くなっていきます。
また、湯殿山のご神体である巨岩に手をおいた瞬間、生々しい弾力に「岩が生きている」と感じて衝撃が走ったという。古代から山は生と死の境界となる場所であり、岩や木、花などに神仏が宿るとされた信仰そのものだ。
筆者はその後、山に引き寄せられるように再び羽黒へ足を運ぶ。そこでも受け継がれてきた伝統文化や古い人々の記憶に触れ、まだわからないことばかりの世界に躍動している感覚(楽しさ)を抱いて、翌年も修行に行くことを決意する。これを機に、曖昧だった山伏について熱心に勉強しその成り立ちや歴史的背景にも詳しくなると、自分との共通点を感じて山伏との距離が近づいていく。
山伏の世界に入ったのはほんの偶然です。その祖先の姿など知りもしませんでした。でも、後になって思い返してみれば、山伏の世界の向こうから、漂白の偉人たちが僕を手招きしていたようにも思えました。
本書が発行された2012年当時、彼は山伏となり6年が経っていた。30歳のとき感じていた当時の悩みは偶然の出合いによって晴れ、その後の生き方を導き出してくれたという。月山の麓に移り住み、彼なりの山伏を実践している現在(2022年)の姿はこちらで取材した。
山伏や修験道の知識が深まるのはもちろんのこと、人生の節目に迷いを感じる人に一歩を踏み出す勇気をくれる、清々しい読後感を得られる書籍だ。