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blooper backpacks − 南アルプスの麓、静岡県・川根本町に工房を構えるオーダーメイドのバックパック専門店。植田徹さんがひとつひとつ作り上げるオーダーメイドのバックパックはシンプルかつ機能的で、さまざまなアウトドアアクティビティで愛用されている。〈トランスジャパンアルプスレース(TJAR)〉の出場選手、望月将悟さんも、植田さんが手がけたバックパックを背負い、旅の相棒にしてあの過酷なレースに挑んでいた。 どんな背負い心地なのだろう。仕様にどんなこだわりがあるのだろう。8月最初の週末に、南アルプスの光岳小屋で開催される2日限定のイベントで、それを体感することができる。

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光岳、それは静岡県と長野県にまたがる標高2,592mの百名山のひとつ。南アルプスのなかでも南部に位置し、この光岳を皮切りに「深南部」と区分される山域を代表する一座だ。国内にはこれより南に標高2,500m超の山は存在しない。高山植物やハイマツの自生し、またその実を食べるライチョウの生息の限界もここまで。手付かずの自然が色濃く残り、まさしく秘境といえる。上級者向けであるがゆえ、登山者の数は少なく、その静けさが魅力のひとつだ。

遠い山小屋が会場

8月5〜6日、光岳山頂から東に15分ほどのところに在る、光岳小屋で〈blooper backpacks(以下、bbp)〉の展示&受注会「2592」が行われる。この日のために制作された限定モデル「Tekaridake」がお披露目される。

長い長い山歩きを経て辿り着く山小屋で出迎えてくれるのは、bbpの植田徹さんと光岳小屋の管理人、小宮山花さんだ。南アルプスを拠点にして活動する同世代の二人によって企画された会がユニークだ。決して容易でない山行の先には普段とは違う、より賑やかな光岳小屋が待っている。8月のスタートは南アルプスの光岳を目指してみてはいかがだろうか。

blooper backpacks Exhibition & Order「2592」in Tekaridake

会期 2023年8月5日(土)、6日(日)

5日の夜は、bbp植田徹さんのトークイベントが行われる。生まれ育った南アルプスをテーマに、愛着ある地への思いが語られる。
イベント、宿泊は予約制  ※詳細は光岳小屋@tekatekatekariにて。

〈Tekaridake25〉モデルについて
・容量:25L
・S、M、L (3サイズ)
・coyote × brown、light blue × dark gray、neon yellow × light gray (3色)
・〈llew25〉をベースに設計され、ショルダーハーネスやウエストポケットの形状が見直されている

器用な手先、繊細な感性

静岡県で生まれ育った植田さんが、初めて南アルプスの山を登ったのは、10代の終わりの頃。「静岡にはこんなにすごい場所があったのか」と、雄大な景色や自然と対話できる山の中の世界を知り、以来、南アルプスの虜になった。

そんな植田さんがどうしてオーダーメイドのバックパックを作るようになったのか。ユーザーひとりひとりのリクエストを細かく聞き、形に落とし込むことを得意とするのはどうしてなのか。今回のようなユニークなイベントの企画や、”地元の山”への愛を感じる活動から、植田さん自身に興味がわいて、彼のルーツを伺った。

「僕は大学生の頃に、バックパッキングを始めました。バックパック一つで旅をするのが好きでした。ただ、学生にいろんなものを試せるほどのお金はなかった。やがて、自分で作ってみようと思い立ったのも、数年前に南アルプスを登ったときでした。シンプルなものが好きなので、これなら自分で作れるんじゃないかと、ミシンを買ったんです。当時は就職し、小学校の教員でした。唯一「家庭科」だけは教えていなかったので、裁縫なんてやったことなかったんですけど。

最初にできたザックは、今と比べたら見た目も悪いし、他人に見せられるようなものではなかった。でも、シンプルだから軽いし、機能的にこれで十分だと感じたんです。実際に、最初のザックを背負って南アルプスを歩けたことが嬉しくて、「次はここを改良しよう」と、登っては直し、登っては直しの繰り返し。それが僕がバックパックを作るようになった始まりでしたね。

南アルプスって、南部は特に、ひとが少ないんですよ。少ないからこそ、そこで会う人とは会話をします。そんな中、山岳ランナーの方達と出会う機会が増えました。軽装備のランナーが向こうからやって来て、「そのザック何?」と聞くので、「僕が作りました」と答えると、実際に背負って「これ次のレースで使いたい」と。その場でヒアリングした要望をカスタムして作ってあげるというケースがある時期から続いて、ひとからひとへという感じに広がっていきました。

教師をやめて、今の僕に至る一番大きなきっかけとなったのは、望月将悟さんと南アルプスの山間で偶然出会ったことでした。同じように、将悟さんは僕のザックを背負っては、「次のTJARで使いたい」と言うんです。次の週には将悟さんの自宅へ行って、装備を詰めたりしながら、要望を聞いて形にしていきました。

2016年のTJAR自己ベストを自ら塗り替えた大会で、僕のザックを使ってくれていました。僕はスタート地点の富山まで行き、静岡側のゴールで出迎えました。途中で壊れたらどうしようとか、記録が残らなかったらどうしようなどと、終始気が気じゃなかった。でも、深夜、将悟さんを大浜海岸で迎え、ゴールテープに向かって走る姿を見て鳥肌が立ちました。

最初は自分のために作っていたのが、まったく別の価値となっていました。こんなに鳥肌が立つ喜びがあるんだったら、追い求めたほうがいい。そう思って、教員の仕事を辞める決心がつきました。それから2年くらいの準備期間を経て、2018年に工房ができました」

植田さんは、背負うひとのバックグランドを聞いて、オーダーに応える。一生懸命なひとから出てくる、普段は見過ごしてしまうほどの細かいこだわりは、植田さんにとってザックの仕様を決めていく大事な要素となるという。器用な手先と繊細な感性で仕立てるバックパックは、一生懸命なひとのために作りたい、という思いが基盤となっている。

また、植田さんには、自身がバックパッカーとして旅するときに外すことができない、もうひとつの相棒がいる。

「僕のバックパックにはいつもフライフィッシングがセットです。昔、カナダをバックパックで旅しているときに、竿をザックに挿している人と出会い、かっこいいなと思ったのがきっかけでした。僕はただ歩いているだけなのに対して、彼はその釣竿を使って、山を歩きながら僕ができない体験をしているはずだと直感しました。

その後日本へ帰ってきて、右も左もわからぬまま、海釣りのルアーを山に持っていきました。運良く釣れて喜んでいたところに、たまたま居合わせたひとが話しかけてきて、色々と教えてくれました。彼はフライフィッシャーで、彼のおかげで僕はどっぷりとその世界にハマっていきました。もう12年くらい経ちますね。

『UI』は、一緒に釣りに行く友人が「雑誌を作りたい」と言い出して始めたものです。僕も本や写真が好きで、SNSとは違った、写真と文章で発信できるメディアを探していました。3年ほど前からはじめ、今では8号まで発行しています。情報誌やハウトゥー本を作るのが目的ではなかった。自分たちの考え方に影響を与えるフライフィッシングの魅力を発信しています。


UI vol.8は、植田さんが今年1月から2月にかけてニュージーランドへ旅した記録を綴っている。『New Zealand Flyfishing Journy 2023』

魚は僕たちとはまったく別の世界にいるんだと感じています。その違う世界と繋がりたいという思いで竿を振り、魚を釣ります。決して攻撃的ではなく、魚の本能に寄り添っているのがフライフィッシングです。彼らにとっては、本能で虫を食べることが「生きる」こと。あくまで主体は魚にあり、私たちは知恵を働かせ、技術を磨き、手間をかけて毛針を巻き、竿を振る。すべてがちょうどうまく流れた時、ようやく相手は反応してくれる。僕にとっては、自然を知る手段としてフライフィッシングがあります。『UI』では魚との繋がりにフォーカスを当てた、僕の心の動きを写真と文章で伝えています」

フライフィッシングにおいても器用な手先と繊細な感性が活かされ、自然と対話することの喜びを知っている。ユーザーのバックグラウンドを聞き、形に落とし込むことに長けた植田さんのものづくりに納得感を増すエピソードだった。

最後に、「多くのお客さんがきてくれることよりも、こんなことを山の奥深い場所でやっている人たちがいるんだと興味を持ってもらえたら嬉しい。そして、僕が大好きな南アルプスの南部に、ぜひ一度きてみて欲しい」と語っていた。