fbpx

西武池袋線・東長崎。ターミナル駅の池袋からは電車で5分とアクセス良好ながら、都会の喧騒からは外れたローカルな空気が漂う街だ。住宅街のなかに小さい商店が点在し、地域住民は自転車で行き交う。

今年の4月、東長崎にイタリアンレストラン〈Cadota〉をオープンさせた新井直之さん。彼とは昨年3月、〈コンビニエンスストア 高橋〉高橋諒自さんの取材で登山に同行させていただいた際に知り合った。ともに奥多摩の御嶽山に登り、お昼には手製のチリコンカンを我々に振る舞ってくれた。約一年ぶりの再会、新井さんはお店の前のベンチでパスタを作っていた。

プーリアの郷土の味

手を動かしながら、「こんにちは」と道ゆく人に挨拶する新井さん。にこやかな声かけに、何人かは足を止めて言葉を交わす。イタリア南部プーリア州にある都市バーリのオレキエッテ通りさながらの景色だ。

「昔修行していたイタリアのプーリアでは、おばあちゃんたちが家の前でテーブルを出してパスタを作る光景が日常でした。その光景がすごくいいなあと思って。ここでパスタを作っているのは、地元の人たちとのコミュニケーションがとれるし、プーリアのパスタを知っていただくという目的もありますね。“なんだかよくわからないショートパスタ”ではなく、印象深くお客さんの内側に入っていきたい。手打ちでパスタを作っているところを実際に見ていただいて、料理のルーツや文化ごと伝えていきたいなと思っています」

プーリアの料理は、ローマ、ナポリ、ミラノに代表されるような定番のイタリア料理とはすこし違う。素朴であたたかいおばあちゃんの味。中でもオレキエッテは、プーリアのおばあちゃん直伝であり、新井さんも思い入れのあるメニューだ。

「おいしいパスタは世の中にたくさんありますし、チーズがたっぷりとかかったパスタ、ミートボールのパスタは誰が食べてもおいしいですよね。でもプーリアのパスタってそういうのと単純に味比べしても勝てないというか。日本の『すいとん』みたいな存在かなと」

新井さんが渡伊したのは20代後半、当時働いていたレストランのシェフの紹介だった。トリノやミラノなど、ミシュラン星付きの店がひしめく北イタリア地方を希望していたが、働き先として紹介されたのは真逆の南イタリア地方のレストランだった。

「料理も素朴な家庭料理で、ガストロノミーとは程遠いレストランでしたが、今振り返ればそれが逆によかったかもしれないですね。北伊に行っていたら、今頃はひたすらキッチンに閉じこもって、レシピを書き殴りながら料理をしていたかも。20代のころは、コンマ数ミリ単位の食材の軽量をするような料理をしていたけど、今なんかレシピ一つも書いていないですね」

イタリア滞在も3ヶ月と短期間。料理の美味しさをひたすら追求する料理人とは戦わない。味だけではなく、料理を通じて新井さんの経験を追体験できるのがレストラン〈Cadota〉だ。

野菜との相性が良いオレキエッテ。新井さんの地元、埼玉の武蔵野うどんにも共通点を感じるという。

「ルッコラとか、カブの葉っぱとか青い菜葉と合わせるのがよくて。現地でも他のパスタはシンプルであまり具材が入っていないけど、オレキエッテだけは野菜がたくさん入っているんですよね。農民たちのごはんであり、おばあちゃんが家族のため、健康のために作る味でやさしさが籠っています。地元の武蔵野うどん(豚肉や野菜やきのこが入ったつけ汁に、コシのある太のある太麺をつけるうどん)も農作業の合間に食べるので、共通点を感じます」

フライドポテトの秘密

〈Cadota〉を訪れたら、まずはフライドポテトを迷わずオーダーしていただきたい。新井さんのいちばんの得意料理だという。

「代々木のレストランで働いていたときに、お子さま用のメニューとしてフライドポテトを提供していました。よくある細長い業務用のポテト。でもなんとなく、料理人としてそのポテトを出すことに迷いを感じて…。それから自分で作り始めたんです。お子さまのお客様にも、自分の子どもにも、味の面でも食材の品質の面でも自信をもってお出しできるようなものになりました」

シューストリングポテト(細長い業務用ポテト)の作り方は、まず細切りにしたジャガイモを流水にかけ、でんぷんを洗い流す。それがカリッとした揚がる秘訣でもあるが、ジャガイモの甘味を形成するでんぷんが失われると、そのポテトは油と、塩の味、あとカリッとした食感の食べ物になる。ジャガイモ本来の姿が薄れてしまうのだ。

せっかくいい生産者の野菜が手に入るんだったら、調理方法も工夫したい。新井さん式のフライドポテトは、皮つきでまるごと茹でたジャガイモをカットして冷凍し、凍ったまま米油で揚げる。そうすることで、でんぷん質が変性し、栄養素も素材の味も損なわない。

「冷凍することで仕上がりがまったく変わります。冷凍ってレストランではネガティブなイメージで、野菜は特に冷凍するとぐずぐずに崩れるので、当初は絶対に出せないと思っていたんですけど。逆にフライドポテトに関しては外がカリッとして、中はぐずぐずというより『トロッとしている』っていうポジティブな捉え方をしてもらえるなと気付いたんです」

子どもの口に入るポテトというメニューを、真剣に考えた結果、それが看板料理になった。みんな大好きフライドポテトは、レストランの間口を広げてくれる。入り口がポテトで、出口はオレキエッテであれば、誰に対しても敷居が高くない。

無花果と鴨

新井さんは料理人であり生産者でもある。埼玉の自宅では畑で果樹を育て、合鴨や鶏を飼っている。

「うちは代々農家で農地があるので、昨年から無花果の栽培をはじめました。無花果なら飲食業となんとか並行できるだろうと。殺虫剤も使ってないので、夏はカミキリムシとの戦いですね(笑)」

もともと狭山茶の茶農家だった新井さんの実家。茶作りを辞めて以来、畑は空き地になっていた。そんな折、駐車場として土地を使わせてほしいという企業からの申し出が。多額の収入が見込める誘いだったが、新井さんは両親と相談し、断ることに決めた。

「駐車場として貸し出す話を聞いて、土ではなくコンクリートや砂利になるのかって。茶畑は、僕の幼少期の遊び場でもあったし、狐や狸も来るような場所なので、彼らの生息地もなくなっちゃうんだろうなとかを考えました。あとは土さえ残しておけば、その後いくらでも作物を育てられるので。これからの時代、土が重要な価値をもつと思うんです。次の世代に、土を残しておかなければいけないと思って…….。世界的なSDGsの話とかよりは。とりあえず自分の周りのことで、将来につながることをやりたいんです」

育てている品種は、日本でメジャーな『ドーフィン』とフランス系の白無花果。ゆくゆくは店の名前と同じ品種の「カドタ」も栽培して、お店で出せたらと構想が広がる。

曲線が目を引くカウンターテーブルは、無花果の葉をモチーフにしている。〈MIAMIA〉のオーナーで、一級建築士のアリソン理恵さんがデザインを担当している。

無花果と同様、〈Cadota〉を象徴するアイコンでもある鴨。飼い始めたいきさつを改めて伺った。

「自宅で孵化させた鴨を一羽飼育しています。『誕生から、食べるまで』を自分で実践したくて。あとは合鴨農法にも興味がありました。食材としての料理人の視点もあるし、単純に生き物としても好きで、どういう風に成長するかを見届けたい。子どもたちの食育っていう意図もあって……色々な理由があります」

そして話は転じて食肉の話へ。昨今の環境問題では、畜産業が取り沙汰され「肉食は環境に良くない」という極端な例も少なくない。

「イタリア料理を学んで、食肉の加工、例えば生ハムやソーセージが生まれた背景を知りました。作物が採れない冬が始まる直前に、豚を一頭解体して加工品にすることで、長い冬を生き延びてきた。そういった歴史を踏まえると、肉食がなかったら人間って今まで生き延びて来れなかったと思うわけです。(環境問題において)牛肉が悪者にされたりしますが、畜産を守ることで、そういう食文化の知識や技術が守られている。環境へのインパクトが大きすぎるのであれば、多少は畜産の割合を減らすべきかもしれないけど、ゼロにするべきではない。だからいい方向に少しずつ舵を切っていけばいいって個人的には思うんですよね」

〈Cadota〉にも肉料理のメニューはある。ジビエや鴨肉、牛肉であっても放牧牛などを仕入れて提供している。仕入れがないときももちろんあるし、均一ではないけれど、命を無駄にしない。仕入れに関しても、無駄がないような道を選んでいる。

「お肉であれば、なるべくジビエを使いたいので駆除対象になっている鹿と猪、それもなるべくハンターさんから直接一頭買いを試みています。そうしないとハンターさんも専業でやっていけないんですよ。牛は、種牛や乳牛としての役目を終えた個体を、大分の山で放牧させている団体があって、そこから仕入れています。知り合いのシェフ同士で声を掛け合って、部位を余すところなく分け合う、みたいなやり方ですね」

レストランで提供される鴨は、放し飼い無投薬で飼育している茨城の生産者から仕入れているものがメイン。基本的に、食用として飼育される鴨はケージ飼いは無く栄養価に優れている。合鴨農法では無農薬米を作る手伝いをしてくれる有益な家畜だ。

鴨と猪と鹿を中心にして、これまでの鶏、豚、牛肉の割合を減らしていく。消費の割合がゆるやかにシフトしていくことを目指すことが、これからのレストランに課された環境問題だと新井さんは考えている。

そうすれば卵だって適正な価格で取引されるはず。今卵が値上がりしているって言われていますけど、ケージ飼いの安すぎる卵が基準になってしまっていただけでいい卵はそもそも安くない。次世代や環境を考えている生産者さんたちを我々レストランがサポートする。それをお客様方にお伝えしたりシェアしていく。そうすれば淘汰されて適正なバランスになっていくのではないかと思いますね」

歩いて楽しい東長崎

朝、仕事前にMIAMIAでコーヒーを買い、向かいのお店の人と挨拶をかわして出勤するのが新井さんのルーティン。生産者から新鮮な青果を仕入れている八百屋さんも、又隣にという近さ。〈Cadota〉オープン前から常連だという小鹿田焼の器屋さん「ソノモノ」も近所にあるのも嬉しい。新井さんが感じる、東長崎という街の印象をきいた。

「特に感じるのは、街がギュッとしているということ。徒歩数分どころか数歩圏内でのコミュニティがある。これだけいろんなお店が集まっていたら、もうイタリアンレストランとして完璧にぜんぶ揃えなくていいなと思いましたね。街全体で足りない要素はないんじゃないでしょうか」

〈Cadota〉にはカフェのメニューは今のところない。食事のあとのドルチェとカフェは、すぐそば〈MIAMIA〉へ。1日のディナーを街全体で楽しめる導線が整っている。

「スペインのバスクみたいに、はしごする文化は世界にもたくさんありますが、そうやってお客さんにはしごしてもらうと街全体が活気づく。よりこの街辺りがそういう感じで、盛り上がっていけば楽しいなって。技術や交通が便利になると同時に、通過駅のひとつになってしまうかもしれない東長崎のようなローカルな街はお店同士の連帯感が何より大切だし、それをお客様方は楽しんでくれる。タクシーで店の前に来て、食事してそこで全てが終わるのは点と点の移動だけど、徒歩みたいなゆっくりした線の移動がいいのが東長崎ですね」

Cadota
東京都豊島区長崎4-9-3
営業時間:17:00〜21:00
月曜定休
https://www.instagram.com/cadota_tokyo/