甘さと権力ー砂糖が語る近代史
著:シドニー・W・ミンツ 翻訳:川北稔・和田光弘
普段から身の回りに溢れている甘い食べ物。最近は摂りすぎによる健康の影響も浸透し、日本でも摂取量は減ってきているそうだ。それにしても砂糖は常に手の届くところにあるし、その誘惑に抗うのはなかなか大変だ。では、こうした“甘さ”に溢れた環境はいつ成り立ったのか?そんな素朴な疑問から本書を手に取った。
『甘さと権力ー砂糖が語る近代史』は、人類学者によって書かれた1985年の著作だ。砂糖の生産、消費、権力と章立てて構成されているが、消費に関しては主に17世紀から19世紀のイギリスを中心に描かれている。かつては希少品であり、貴族を中心に消費されていた砂糖が民衆に広まるのは、たかだか300年ほど前、1750年頃のこと。植民地からの茶の輸入・消費が拡大するにつれ、その甘み付けとして砂糖の消費も拡大していったという。1850年以降は生産量の増大や関税の引き下げにより、砂糖の価格が急落し、生活必需品と呼べるまでになっていく。この様子を著者は端的にこう言い表す。
1650年には珍しい貴重品であった砂糖が、1750年には奢侈品となり、1850年までには事実上の必需品となったのである。
1900年までには、平均一人当たりのカロリー摂取量のほとんど1/6を砂糖に依存するようになったという。200年ほどの間に、イギリスの民衆の食生活は大いに変わった。その背景にあるのが植民地と産業革命だった。
大衆が消費できるほどの大量の砂糖を安価に供給することができたのは、植民地の広大な土地と奴隷という労働力によるものだった。それまでほぼ自給自足で食物をまかなってきたイギリスに世界地図の西の端から砂糖が、東の端から茶が届けられ、その輸送費を勘案しても消費できるほど安価に提供されるシステムが砂糖の大量消費には不可欠だった。
もう一つは産業革命により工場労働者が生まれたことだ。都市化・工業化が進み、食事のスケジュールは労働のスケジュールに合わせるように変えられていく。そして出来合いの外食で済ませることが多くなり、それにつれて砂糖の消費も増大していく。
世界中いたるところで、砂糖は、労働者・貧民のカロリー不足を補う役目を果たし、産業労働者の「中休み(ブレイク)」にまず最初に提供される食品になった。
つまり砂糖の消費量の爆発的な増大は、植民地主義と資本主義が手に手を取り合って半ば必然のように進んでいたという側面があるという。
奴隷と労働者は帝国の経済体制を担ったのだが、その体制は一方に手枷を、もう一方に砂糖とラム酒を与えることになったのである。
まさに“「資本主義の寵児」たる砂糖”だということが、本書を読むとよくわかる。著者も述べているように“イギリス人労働者が最初に砂糖入りの熱い紅茶を飲んだとき”それが人類の食の歴史の転換点だったのだ。