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エネルギーを巡る旅

あまり期待もせずに手にした本に没入し、圧倒的な読書の喜びを感じられることがある。『エネルギーを巡る旅』は、そうしためったにない出会いの喜びを与えてくれる書籍だ。ただ、こうした類の本にありがちなことだが、その魅力を人に伝えるのがとても難しい。だから、まずは『エネルギーを巡る旅』を構成する要素を並べてみることにしよう。

最初に触れておくべきは著者の古舘恒介氏がJX石油開発という、エネルギー産業のど真ん中にいまも所属していて、その業界の裏も面も知り尽くしているであろうという事実だ。では、業界の内幕を描いた社会的なルポルタージュやエネルギー地政学の話かというとさにあらず、エネルギーを巡る人類史、ビックバンに始まる熱力学法則を解説したポピュラーサイエンス、そしてタイトル通りエネルギー史において重要な位置を占めた土地を旅する旅行記でもあり、エネルギーとヒトとの関係を内省する哲学書でもある。だから著者の肩書やシンプルなタイトルに惑わされてはいけない。これは、ビッグバンに始まる宇宙史とこの地球に生まれた人類の歴史を〈エネルギー〉という一本の矢で貫き、理解しようとする壮大な試みなのだ。

この本の構成要素のひとつ目の柱が、エネルギー人類史だ。著者は人類にはこれまで5回のエネルギー革命があったと唱える。
それは次の5つだ。

1. 火の利用
2. 農耕の開始
3. 産業革命(蒸気機関の利用)
4. 電気の利用
5. 化学肥料の利用

ヒトは基礎代謝の20%を消費する巨大な脳と他の哺乳類に比べて短い消化器官を持っている。これは火を利用し、調理をすることによって消化をアウトソーシングし、その余剰のエネルギーを脳に回したという解釈になる。以降、脳が求めるエネルギー多消費型社会が人類の追い求めるものになった。(このくだりは、3月の特集『COOK & RUN』と見事にリンクしている)

続いての農耕革命は、植物を通じた太陽エネルギーの保存を可能にした。これによって世界の人口は農耕が始まる前の500~600万人から6億人へと100倍も増えることになる(農耕が始まってから2000年前までの1万年間で)。また農耕の開始により都市化が起こり、その建築や社会に対応した金属の鋳造にも火のエネルギーが用いられた。具体的には森林を伐採し、木造建築を建て、レンガを焼き、金属を鋳造することで、森林の再生スピードを上回る速度で木材を消費したために、森林にエネルギーを依存した都市は衰退していった。

産業革命の最も大きなポイントは、エネルギーの形態を変えることを可能にしたことだと著者は唱える。つまり蒸気機関とは、熱から取り出したエネルギーを動力へ変換する装置であるという部分が画期的だったのだ。この〈動力〉は、使役動物や奴隷の解放という道筋もその中に内包していた。そして、このエネルギーが変換できるということへの気づきが、熱力学第一法則=エネルギー保存の法則(形態を変えてもエネルギーの量は変化しない)の発見を準備したのだ。

そして電気の利用によって、エネルギーが移送可能なものになった。熱→動力の変換を可能にした蒸気機関は、その装置においてしか機能せず、場所に依存するものだったからだ。

産業革命以来、エネルギーの供給源は化石燃料に大きく依存するようになる。そしてついには食料(ヒトにとっての直接的なエネルギー)も間接的に化石燃料から生み出されるようになった。それが化学肥料の利用だ。農業の生産量を格段に上げる化学肥料の主成分は窒素だ。そしてその窒素は、化石燃料の膨大なエネルギーを用いて空気中から固定される。現在では世界人口の実に半分が、この化学的に取り出された窒素によって支えられているといわれている。(これも手前味噌ながら5月の特集『BODY & SOIL』で中心に据えたテーマだ)

こうしてエネルギーを貪り食うようになった人類が心に留めておかなくてはならないエネルギーの法則=熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)と熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)について詳しく解説するのが、第2部のテーマとなっている。一般的には非常にとっつきにくい内容なのは間違いないが、著者の解説はとてもエレガントでわかりやすいので一読をお勧めする。また、熱力学第二法則については、ブライアン・グリーンの著書『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』を併読するとより理解が深まるだろう。ただ、この第2部のエッセンスは「熱力学の第一法則で保存されているはずのエネルギーがなぜ有限とされるのか。それはエネルギーには質の問題があり、私たちが本当に必要としているものは、エネルギー資源の中でも低エントロピーの資源でありあるからです。それゆえに、資源は有限なのです(第2部第2章エネルギーの特性)」に集約されている。

そして現在のエネルギーの問題は、この「資源の有限性」に留まらない。人為的な気候変動の問題が顕在化し、エネルギー資源を使い尽くす前に、温暖化によって人類の生存が脅かされことの緊急度の方が高まっているためだ。つまり、わたしたちは資源を使い切ることすらできないかもしれないのだ。これは人類にとって初めての事態だ。

例えばこのコロナ禍で経済には急ブレーキがかかり、多くの人々が忍耐を強いられた。それによって「世界経済がほぼ停止状態に陥った2020年4月上旬には、1日の推定二酸化炭素排出量が前年の1日平均との対比で17%減少したとみられています。これはかつてない減少であり、1日の排出量としては2006年当時の水準まで減少した計算になります(第4部第2章)」とされているものの、パリ協定が目指す2050年時点での二酸化炭素排出量はこの2006年時点の1/3であることを考えると、いかに達成が難しいかが体感できるだろう。

著者はこれを実現するために核融合による原子力発電か太陽光の利用のふたつの可能性を示す。しかし、核融合発電実現への道は遠く、当面は太陽光を活用するのが現実的だと考えているようだ。そして、太陽光に依存するということは、ある意味太古のように自然のリズムに合わせて生きることに回帰していく。また成長率に関しても現状の年率3%から自然の樹木が成木になる時間から試算した年率2%に抑えるべきだとも提言する。

その具体的な処方として著者は、機械が強いる加速化したリズムを離れ、「身体が刻む正確なビートに耳を傾け」ることを提唱する。一日の太陽の動きや一年の季節の変遷から生まれてきた身体のリズムに。調べてみるとどうも著者の古舘氏は熱心なランナーらしい。身体のリズムを答えに持ってくるあたり、ランナーとしての身体感覚が生かされているのかもしれない。