秋は旬の食材も豊富な食いしん坊には嬉しい季節。この時期に合わせて食の特集を組もうと編集会議を開くと、自然の恵みを活かした料理を提供するレストランやおいしいレシピの紹介など、いろいろなアイデアが集まりました。しかし、周りを見渡してみると食料価格の高騰や自給率の低下、食品ロスなど食にまつわる懸念が広がっていることにも気付かされます。
ただ、こうした問題はセンセーショナルになりがちですし、冷静に語るのが難しかったりするトピックです。そこでこれらの課題を身近にかつ冷静に考える方法として“数字”から食にアプローチすることにしました。数年前にベストセラーになった書籍『FACTFULNESS (ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』にならって、特集タイトルは〈FOOD FACTFULNESS 数字で見る食の事実〉としました。
例えばこんな具合です。
日本の食料自給率って低いイメージがあるけど、実際どうなの?
→『たまごの本当の自給率』
魚の需要は増えてるの?減ってるの?
→『魚が消えてしまう前に、日本の海を正しく知る』
フードロスの話を聞くけど、原因はなに?
→『世界の食料廃棄は1/3にものぼる フードロスのない社会を目指す Kuradashi』
そんな疑問を数字を掘り起こしながら紐解いていきました。政府の統計や海外の論文など一次資料にあたると、こちらがあらかじめ立てた仮説を超えて驚くような事実につきあたったり、危機感を強く感じたり、なにより編集部の皆が食に関する認識を新たにすることになりました。食について調べていたのに、いつの間にかグローバル化や少子高齢化、気候変動の問題につきあたりました。私たちの命の中心にある食は、当然のようにそうした社会や環境の変化と切っても切り離せないものでした。
料理をし、多様な食材を食べることはとても人間的な行為です。生きるためにエネルギーを補給するというシンプルな話にはなりません。書評で紹介した『甘さと権力ー砂糖が語る近代史』の中で、著者のシドニー・W・ミンツは、文化人類学者らしくこんなことを語っています。
”食物のシステムには、人種どころか、もっと小さい集団の間でも、決定的な差がある。多言を弄するまでもないことだが、ひとはありとあらゆるものを食物としてきた、集団によって食べるものも違えば、食べ方も違っていた。(中略)食品選択は、自己規定の核心に触れる問題なのだ。まったく違った種類の食べ物を食べている人びとや、似たような食品でも、まったく別の食べ方をする人びとは、全然別の人間のように見られがちだし、ときには人間らしくないとさえ見られてしまう。”-『甘さと権力ー砂糖が語る近代史』より
何を食べるかは、極端に言えばかつて敵と味方を見分けるものでもありました。一方で、食卓を囲むことは、仲間に加わることと同義でした。食は私たちのアイデンティティーと強く結びつかざるを得ず、だからこそ感情的な問題につながりがちです。これは、かたちを変えていまでも菜食や肉食の是非など食を巡る議論として続いているのかもしれません。
しかし、グローバル化が進み“世界市民”という新しい集団に組み込まれたわたしたちの食が変わることは必然ですし、その中で永続性のある新しい文化を築いていく必要があるのでしょう。その過程で、数字を通して食の事実に触れることは、みんなが納得できる新しい食文化が生まれる礎として必要なことなのではないか、特集の取材を通してそんなことを感じました。